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横浜地方裁判所 昭和52年(ワ)1503号 判決

原告

渡辺友希子

右法定代理人親権者父・原告

渡辺宇克

同母・原告

渡辺厚子

右原告三名訴訟代理人

清水健一

被告

日本赤十字社

右代表者社長

林敬三

右訴訟代理人

饗庭忠男

小堺堅吾

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告渡辺友希子(以下原告友希子という。)に対し金七〇〇万円、同渡辺宇克(以下原告宇克という。)及び渡辺厚子(以下原告厚子という。)に対し各金一五〇万円、並びに昭和五二年一〇月六日から右各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 原告友希子は、同宇克、同厚子の間の長女である。

(二) 被告は、横浜市中区根岸町に総合病院横浜赤十字病院(以下本件病院という。)を開設・運営している特殊法人である。

2  (診療契約の成立)

(一) 原告宇克及び同厚子は、昭和四九年五月七日本件病院産婦人科を訪れ、同厚子は診察を受けたうえ、被告との間で、被告が本件病院産婦人科医師らを履行補助者として現代医学の水準に則した知識・技術を駆使して、原告厚子の妊娠・出産につき、適切な診療・分娩介助・施術をなす旨の診療契約並びに、出生してくる新生児原告友希子のために、原告宇克、同厚子を要約者、被告を諾約者、原告友希子を第三者として、同原告の出生介助及び出生後の諸症状につき適切な診療をなす旨の第三者のためにする診療契約を締結した。

(二) 原告厚子は、後記のとおり昭和四九年一二月二八日本件病院で原告友希子を分娩し、同原告の右出生の事実により、前記第三者のためにする診療契約につき、同原告の受益の意思表示が擬制された。

仮にそうでないとしても、原告宇克、同厚子は共同して、もしくは、同厚子は同宇克の同意を得て、原告友希子の出生時、同原告の法定代理人として、同原告を代理して、被告に対して黙示的に前記第三者のためにする診療契約につき、受益の意思表示をした。

3  (鉗子分娩手術と原告友希子の後遺障害等の発生)

(一) 原告厚子は、昭和四九年一二月二四日本件病院産婦人科に入院し、同月二八日三宅清平医師ら三名の医師(以下三宅医師らという。)の鉗子分娩手術によつて原告友希子を分娩した。

(二) 原告友希子は、右鉗子分娩手術に際して、右鎖骨骨折、中耳炎、左目上の痣等の傷害を受け、耳介も変形してしまつたばかりでなく、その後の横浜市立市民病院(以下市民病院という。)等での診察の結果、左眼網膜皺襞、分娩外傷性脳実質内出血に基因する脳性麻痺及び知能・身体の発達遅滞の後遺障害が存することが判明した。

4  (診療契約債務の不完全履行)

原告友希子の前記各傷害及び後遺障害は、いずれも、被告の履行補助者である三宅医師らが、原告厚子、同友希子に対して前記診療契約債務を履行するに際して、現代医学の水準に則した知識と技術を駆使して適確な診療をなすべき注意義務を負つていたのに、次のとおりこれを懈怠して不完全な診療をなしたことに起因するものである。

即ち、

(一) (帝王切開分娩術を選択しなかつた過失)

(1) 原告厚子の出産予定日は昭和四九年一二月四日であつたが、右予定日を経過しても同原告には陣痛が発来せず、右予定日を二〇日も過ぎた同月二四日の本件病院入院時でも子宮頸管は一指開大であつた。

そこで、三宅医師らがラミナリア管や金属及びゴム製ブジー管などを挿入した結果、同原告の子宮頸管は二七日午前一〇時二〇分には二指半開大となつたが、二八日午前一〇時五〇分の時点でも依然二指半開大にとどまつていた。

その間、同原告は、二六日午後八時以降三十数時間にわたつて微弱陣痛が続く一方、二七日午後八時三〇分自然破水し、羊水混濁が現われて来て、二八日午前九時ころには急遂分娩が必要な状態となつていた。

(2) このように、妊婦が出産予定日を二十数日経過し、陣痛発来から三十数時間、破水からも一〇時間を経過し、羊水混濁が出現しながら、依然陣痛が微弱で子宮頸管の開大が遷延している場合には、産婦人科医師としては、帝王切開分娩術による急遂分娩を選択すべき注意義務があつたのに、三宅医師らは、右注意義務を怠たり、漫然、用手開大法により子宮頸管を開大させて経腟分娩術の中の鉗子分娩術を選択施行し、その結果、原告友希子に前記各傷害及び後遺障害を与えた。

(二) (吸引分娩術を選択しなかつた過失)

仮に、三宅医師らが帝王切開分娩術を選択せず経腟分娩術を選択したことに過失がなかつたとしても、産婦人科医師としては、経腟分娩による急遂分娩術の中で分娩損傷の生ずる可能性の少ない吸引分娩術を選択すべき注意義務があつたのに、三宅医師らは、右注意義務を怠たり、鉗子分娩術を選択施行し、その結果、原告友希子に前記各傷害及び後遺障害を与えた。

(三) (鉗子分娩術施術上の過失)

仮に、三宅医師らが鉗子分娩術を選択したことに過失がなかつたとしても、産婦人科医師としては、鉗子分娩術を施すに際しては、胎児が子宮濶部(低位)に下降したことを確認したうえ、胎児の身体に損傷を与えない程度の挾圧力をもつて鉗子をかけ、徐々に胎児を摘出すべき注意義務があつたのに、三宅医師らは、右注意義務を怠たり、胎児が原告厚子の子宮入口部(高位)に存したのに、鉗子を右入口部まで挿入、胎児頭に装着し、胎児に過度の挾圧力を加え、また胎児を母体産道の硬い部分に圧迫するなどして強引に唯一回の索引で摘出し、その結果、原告友希子に前記各傷害及び後遺障害を与えた。

(四) (分娩介助中酸素供給を怠たつた過失)

分娩介助に当る産婦人科医師としては、本件原告厚子の場合のように、微弱陣痛が三十数時間も続き破水後一〇時間を経過して羊水混濁が出現しながら子宮頸管の開大が遷延している場合には、母体に十分な酸素を供給し胎児の酸素欠乏症を未然に防止すべき注意義務があつたのに、三宅医師らは、右注意義務を怠たり、原告厚子に十分な酸素を供給せず、その結果、原告友希子に酸素欠乏に基因する前記脳性麻痺の後遺障害を与えた。

(五) (分娩後眼底検査を怠つた過失)

産婦人科医師としては、鉗子分娩術によつて出生した新生児に対しては眼底検査を行ない、もし眼底出血があれば早期に必要な治療をなすべき注意義務があつたのに、三宅医師らは、右注意義務を怠たり、原告友希子に対し眼底検査従つて早期治療を行なわず、その結果、同原告に対し前記左眼網膜皺襞の後遺障害を与えた。

5  (損害)

(一) 原告友希子の慰藉料金七〇〇万円〈省略〉

(二) 原告宇克、同厚子の慰藉料各金一五〇万円〈省略〉

〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二診療契約の成立について

1  原告厚子が昭和四九年五月七日本件病院産婦人科で初めて受診した事実及び(契約締結の時期の点は除いて)遅くとも同年一二月二四日の同原告の同科入院時には同原告と被告との間で被告が同科医師らを履行補助者として同原告の妊娠・出産につき当時の臨床医学の水準的知識に準拠して適切な診療・分娩介助・施術をなす旨の診療契約が締結された事実は当事者間に争いがない。

右事実に、〈証拠〉を総合すると、原告厚子は、妊娠を自覚して昭和四九年五月七日本件病院産婦人科で初めて受診し、以後定期的に受診し、同年一二月二四日分娩のため同科に入院した事実並びに、同原告は、右入院の時点で、被告との間で、いずれも、被告が同科医師らを履行補助者として、当時の臨床医学の水準に準拠した知識・技術を駆使して、同原告の妊娠・出産につき適切な診療・分娩介助・施術をなす旨の診療契約及び、原告友希子の出生介助をなすとともに、出生後の新生児である同原告に起こりがちな諸症状を医学的に解明して適切な診療をなす旨の原告厚子を要約者、被告を諾約者、胎児当時の原告友希子を受益者とする第三者のためにする診療契約を締結した事実を認めることができ、右認定に反する原告厚子本人の供述部分は措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  原告らは、原告宇克も被告との間で原告厚子の妊娠・出産につき前記同原告と被告との間の診療契約と同一内容の診療契約を昭和四九年五月七日の同原告の初診時に締結した旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

3  原告友希子を受益者とする第三者のためにする診療契約につき、同原告の受益の意思表示がなされて同原告に右診療契約の効果が帰属するに至つたか否かの点についてはしばらく措いて、進んで本件診療契約債務につき被告の不完全履行が存したか否かの点につき検討する。

三原告厚子の妊娠・分娩の経過、同友希子の出生後の状態

1  当事者間に争いのない事実

(一)  請求原因3(一)の事実

(二)  同4冒頭の事実のうち、三宅医師らが原告厚子に対する診療契約につき被告の履行補助者として右債務の履行に当つた事実

(三)  同4(一)(1)の事実

(四)  同4(一)(2)の事実のうち、三宅医師らが原告厚子の分娩につき帝王切開分娩術を選択せず用手開大法により子宮頸管を開大させて経腟分娩術の中の鉗子分娩術を選択施行した事実

(五)  同4(二)の事実のうち、三宅医師らが吸引分娩術を選択せず鉗子分娩術を選択施行した事実

(六)  同4(三)の事実のうち、三宅医師らが唯一回の牽引により児を娩出させた事実

(七)  同4(五)の事実のうち、三宅医師らが原告友希子に対して分娩直後眼底検査をしなかつた事実

2  右当事者間に争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ〈る。〉

(一)  原告厚子の初診から入院までの経過

(1) 原告厚子は、妊娠を自覚して昭和四九年五月七日本件病院産婦人科で初めて受診し、妊娠三か月、出産予定日同年一二月四日と診断され、その後定期的に同科で受診し、ほぼ正常な妊娠経過をたどつていた。

(2) 同年一一月二六日(妊娠三九週)受診。児頭も下方すなわち頭位にはなかつたがなお骨盤入口に浮動していたので、骨盤エックス線撮影(グースマン撮影)を受け、児頭骨盤不均衡(CPD)はなく経腟分娩に障害はないと診断された。

(3) 同年一二月三日、一〇日、一七日受診。一七日(四二週)時点では、児頭が骨盤に固定しかかつてきたので、三宅医師らは、あと一週間様子をみてなお陣痛が発来しないときは入院のうえ陣痛誘発を施行する必要があると判断した。

(4) 同月二四日受診。子宮頸管はいまだ一指開大なお硬靱で、すぐには陣痛が自然発来する様子がうかがわれず、出産予定日(同月四日)超過であつたため、同医師らは、即日入院を決定した。

(二)  原告厚子の入院から一二月七日夜までの経過

(1) 同月二四日午前一〇時五分入院。子宮頸管はいまだ硬靱であつたので、これを軟かくさせ開大しやすくするため、同医師らはラミナリア管三本を挿入した。

(2) 同月二五日午前一〇時、前日挿入したラミナリア管を抜去した。この時、子宮頸管は一指半開大でいまだ硬さが残つていたので、同医師らは、引続き陣痛誘発の目的で金属ブジー管三本を挿入したが、陣痛は、午後二時ころから時折腹緊がある程度であつた。感染予防のため抗生物質セポランの筋注を施行した。

(3) 同月二六日午前一〇時、正常陣痛不発来のため前日挿入のブジー管を除去した。子宮頸管の状態は前日とほぼ同様であつたので、同医師らは、再度陣痛誘発の目的でゴムブジー管三本を挿入し、セポランの筋注を施行した。午後四時二〇分ころから腹緊が少し強まり午後八時ころから正常に近い陣痛が発来した。

(4) 同月二七日午前二時ころからは陣痛が遠のき腰痛程度に弱まつたが、同医師らは、睡眠を確保させることとしてそのまま様子を観察した。午前一〇時二〇分前日挿入のブジー管を除去したが、この時子宮頸管は二指半開大となり、分娩中に生成する胎胞も形成され、児頭も骨盤入口部に固定してきた。児心音にも変化がなく、異常を認めなかつたので、同医師らは、高圧浣腸と自由歩行をさせてみて自然の陣痛増強を待つこととした。

(5) その結果、同日午後八時ころから陣痛が発来し徐々に強まり、同八時三〇分自然破水した。羊水には軽度の混濁があつたが心配するほどのものではなく、児心音も正常であつた。子宮頸管は依然二指半開大であつたが、児頭は完全に骨盤入口部に固定しており、自然の陣痛が予測できたので、同医師らは、六時間毎のセポラン筋注の指示を出して経過を見守ることとした。

(三)  原告厚子の鉗子分娩術施行決定までの経過

(1) 同月二八日午前九時の内診の結果、分娩の進行状態は、前夜の破水後も予想に反して陣痛の増強がみられず、余り変化がなかつた。そこで、同医師らは、分娩第一期(乙第二号証分娩記録「適応」欄に第Ⅱ期遷延とあるのは第Ⅰ期遷延の誤記である。)も遷延して母体に疲労がみえ腹圧も十分にかけられそうになく、破水後既に一〇時間を経過して感染の危険も考えられたので、分娩を促進すべきであると判断し、アトニン点滴により陣痛の補強を試み、もし効果がないときは直ちに帝王切開分娩術に移行できるよう手配し、その準備を進めるとの方針を決定した。

(2) 同九時一五分、五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットル、陣痛促進剤アトニンの点滴静注を開始したところ、同原告は、アトニンに対する感受性はあるものの発作が短かく、また、同一〇時五〇分の内診の結果子宮頸管の開大状態も従前と余り変化がなかつたため、同医師らは、同原告に陣痛発作に合わせて少し努責を加えさせ、用手的に子宮頸管を開大して娩出力を高める努力をした。

(3) その結果、順調に分娩が進み、同一一時二〇分には子宮頸管は全開大となり、児頭も骨盤濶部まで下降した。同医師らは、この時点で帝王切開分娩術によらずに経腟分娩が可能であると判断し、児頭の下降状態からみて鉗子分娩術の適応と要約に該当するとして、これを施行するのが母児にとつて最も安全であると考えて鉗子分娩術施行を決定した。

(4) この間、同医師らは、同原告に対し、同日午前五時、同八時、同一一時ころ各二〇分間毎分三リットルずつの酸素を吸入させた。

(四)  原告厚子に対する鉗子分娩術施行の経過

前記鉗子分娩術施行決定にもとづき、同医師は、同日午前一一時三〇分同原告に会陰部側切開を施行し、同三五分同医師の指示のもとに本件病院産婦人科の森医師が鉗子葉を挿入、子宮濶部で児頭に装着、接合し、試験的牽引で滑脱等の異常がないことを確認のうえ、次回陣痛発作に合わせて牽引したところ、唯一回の牽引で容易に児頭が発露の状態となつた。

そこで、森医師は、鉗子葉を児頭から解除し、自然の分娩の進行に委ねたところ、同四二分第一後頭位で女児(原告友希子)の娩出をみた。全出血量は二〇〇ミリリットルであつた。

(五)  原告友希子の出生時の状態

(1) 原告友希子の出生直後の臨床所見は、成熟児、生下時体重三四五〇ゲラム、身長五一センチメートル、胸囲三五センチメートル、児頭周囲三四センチメートル、仮死一度、呼吸、心搏動ともに整、アプガースコアは一分後六点、三分後八点、三〇分後一〇点であつた。

(2) 三宅医師らは、同原告に対し、念のため酸素毎分六リットルを投与吸入させたところ、同原告は、三分後には強い泣き声をあげ、一〇分後には正常な新生児とほぼ変らない状態となり、普通児と同様に沐浴を受け、保育器には収容されなかつた。

(3) 出生直後の同原告の顔面・頭部には、両耳の下にうつすらとほとんど確認できない程度のかすかな鉗子葉の圧迫痕が存する程度であつた。

(4) なお、同原告の出生時、羊水にごく軽度の混濁はあつたが、悪臭もなく、胎便の混入もなかつた。

四診療債務の不完全履行について

1  帝王切開分娩術及び吸引分娩術を選択しなかつた過失について

(一)  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ〈る。〉

(1) 一般に、帝王切開分娩術の適応としては、

(イ) 母児に対する危険が突発した場合(母に対するものとして大出血など、児に対するものとして切迫仮死など)

(ロ) 経腟分娩が不可能もしくは危険な場合(不可能な場合として狭骨盤や軟産道狭窄などいわゆるCPD、危険な場合として前置胎盤や静脈節など)

が、要約(施行できる条件)としては、

(イ) 母体が手術に堪えうること

(ロ) なるべく破水前であること

(ハ) 胎児が生存していること

があげられ、禁忌としては、経腟分娩術による方が母児にとつて安全と考えられる場合であること、があげられている。

なお、骨盤濶部まで児頭が下降している場合に帝王切開分娩術を施行することは、不可能とはいえないが、一度下降した児頭を再度腹部へ押上げる操作を要し、手術に時間と危険を伴なうことは否めず、明らかな児頭骨盤不均衡(CPD)の存する場合以外には推奨されない。

(2) 帝王切開分娩術を施行した場合の母体の予後としては、術後感染症、子宮切開創からの出血・血腫・感染等により子宮摘出術施行のやむなきに至る例、術後不妊症、再度妊娠時子宮破裂防止のための反復帝王切開分娩術のやむなきに至る例、反復手術による癒着性腸閉塞・腸捻転の危険等があげられ、また、帝王切開分娩術で出生した児自体経腟分娩術で出生した児に比較して生活力に劣るともいわれ、最近では経腟分娩術が帝王切開分娩術に比較して母児に対しより自然で望ましいものであることが再認識されている。

(3) 一般に、鉗子分娩術の適応としては、

(イ) 分娩第一期が遷延し、母体の疲労が強く児娩出に必要な腹圧が不十分であること

(ロ) 陣痛が微弱であること

(ハ) 破水後長時間を経過し、羊水の混濁が認められること

が、また要約としては、

(イ) 既に破水していること

(ロ) 子宮頸管が全開大であること

(ハ) 児頭骨盤不均衡(CPD)が存しないこと

(ニ) 児頭は骨盤濶部まで下降し、鉗子適位にあること

(ホ) 児心音が正常で成熟児であることが、あげられている。

(4) 鉗子分娩術を施行した場合の母体の予後としては、子宮頸管・腟壁・会陰部の各裂傷、出血、感染症等が、児の予後としては、軟部損傷、骨損傷、頭蓋内出血、眼損傷、頸部損傷等があげられる。

(5) 吸引分娩術の適応・要約は、いずれも、鉗子分娩術のそれとほぼ同様である。

(6) 吸引分娩術を施行した場合の母体の予後としては、産道の裂傷、粘膜下血腫等の外傷が、児の予後としては、頭血腫、頭蓋内出血、頭皮剥離、膿瘍形成、重症新生児核黄疸等があげられ、分娩器の滑脱があると結局鉗子分娩術等の他の分娩術に変更せねばならず、かえつて分娩に長時間を要する結果となる場合があり、鉗子分娩術に比較して技量を要しないところから一時期非常に多用されたが、最近では安易な使用が戒しめられている。

(二) 右認定の帝王切開分娩術、吸引分娩術及び鉗子分娩術の適応、要約・母児の予後等に照らしてみると、前記三認定のとおり本件病院産婦人科三宅医師らが、原告厚子が出産予定日を三週間以上経過し、ラミナリア管・ブジー管等の挿入によつて微弱陣痛が開始してから三十数時間、破水からも一〇時間を経過し、羊水混濁が出現し、児頭骨盤不均衡(CPD)はなく児頭は子宮入口部に固定していながら、依然子宮頸管は二指半開大にとどまり、陣痛も強まらなかつた昭和四九年一二月二八日午前一〇時五〇分の時点において、同原告の分娩方法として直ちに帝王切開分娩術を選択せず、アトニン点滴と用手的開大法の効果がないときは速やかに帝王切開分娩術に切替えうる準備を整えたうえで、アトニン点滴で陣痛を促進しながら用手開大法により子宮頸管の開大を図り、なお経腟分娩術の可能性を追及した措置並びに、右用手開大法が奏功して子宮頸管が全開大となり児頭も骨盤濶部まで下降した同一一時二〇分の時点で帝王切開分娩術及び吸引分娩術を選択せず鉗子分娩術を選択施行した措置は、いずれも、産婦人科医師の診療行為に許容された自由裁量の範囲にあつたものというべく、右鉗子分娩術の選択につき三宅医師らに過失があつたものと認めることはできず、他に右の点につき過失を認めるに足りる証拠はない。

2  鉗子分娩術施術上の過失について

(一) 前記三認定の三宅医師、森医師らの原告厚子に対する鉗子分娩術施行の経過及び、原告友希子の出生時の状況、とりわけ、頭部・顔面にほとんど鉗子葉の圧迫痕がみられなかつたこと、出生後の呼吸・心搏動は整調であつたこと、アプガースコアは出生一分後には六点、三分後には八点、三〇分後には一〇点であつたこと等に照らせば、三宅医師らに、原告ら主張の鉗子分娩術施術上の過失があつたものと認めることはできない。

(二)  なお、〈証拠〉によれば、原告友希子は、分娩に際して右鎖骨骨折の傷害を被り本件病院で八字帯固定の治療を受け昭和五〇年一月一六日の本件病院小児科退院までに完治した事実が認められるが、〈証拠〉によれば、鎖骨骨折は自然分娩や吸引分娩に際しても屡々発生し、しかも予後は軽く大部分は一週間程度で接合完治する(前記認定のとおり原告友希子の場合も本件病院退院までに完治した。)ものである事実が認められるから、右鎖骨骨折の事実は格別粗暴な鉗子分娩術施術の証左となるものではなく、他に三宅医師らの鉗子分娩術施術上の過失を認めるに足りる証拠はない。

3  分娩中母体に酸素供給を怠たつた過失について

(一) 前記三認定のとおり、

(1) 三宅医師らは、原告厚子に対し分娩当日の一二月二八日午前五時、同八時、同一一時から各二〇分間毎分三リットルずつの酸素を供給していた。

(2) 分娩中の同原告の児心音は常に正常であつた。

(3) 原告友希子出生時羊水にはごく軽度の混濁が認められただけで悪臭及び胎便の混入は認められなかつた。

(4) 出生時の同原告の呼吸・心搏動とも整調でアプガースコアは出生一分後六点(産婦人科医師として新生児の予後を心配して蘇生を急がなければならないのは同スコアが出生一分後の時点で四点ないし五点以下のときである。)、三分後八点、三〇分後一〇点であつた。

(二)  〈証拠〉によれば、分娩時酸素欠乏が生じたときはいわゆる脳性麻痺を惹起することがあり、その場合筋緊張の異常や不随意運動が前景に現われることが認められ、他方、〈証拠〉によれば、原告友希子には出生直後の本件病院小児科入院時にも筋緊張の異常はなく、黒木医師のこどもセンターでの診療の際にも筋緊張の異常、不随意運動、麻痺ともに認められず、脳性麻痺を思わせる所見が存しなかつたことが認められる。

(三)  右事情のもとにおいては、三宅医師らに原告厚子の分娩中に酸素供給を怠たつた過失があつたものと認めることはできず、他に右過失を認めるに足りる証拠はない。

4  原告友希子の眼底検査を怠たつた過失について

〈証拠〉によれば、経腟分娩児の四割以上に網膜出血がみられ、多くは出生後三週間程度で自然に吸収され治癒するので、長期間酸素投与を受けた未熟児や中枢神経系の異常を示した高度危険児(high risk infant)以外の児(すなわち通常の成熟児)について眼底検査を行なうことは無意味である事実が認められ、前記三認定のとおり、原告友希子は成熟児で、出生時格別中枢神経系の異常を示す所見及び鉗子葉の圧迫による眼損傷を示す所見は存しなかつたのであるから、三宅医師らに原告友希子の出生直後に眼底検査を行なうべき注意義務があつたものと認めることはできず、他に右注意義務の存在を認めるに足りる証拠はない。〈以下、省略〉

(下郡山信夫 佐藤嘉彦 太田剛彦)

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